小田原 せい
新橋の母
18歳の時、「堀田加代」の名で歌手デビューするも24歳で声帯を痛め引退。
「立花光」の名で六本木にスナックをオープンし「光ママ」として何店舗も経営する。
その後、博多を中心に多数のクラブを経営するが、新規事業に失敗し無一文に。
どん底を経験しても諦めることなく、再び上京。
スナックの手伝いをしつつ、学生の頃から研究していた数秘術を元に占いを始めるが、あまりの的中率の高さが話題となり、地元商店街が「小田原聖占いの館」を開いてくれるほどに。
盛況ぶりが評判となり、マスコミに取り上げられ一躍人気占い師となったが、訳あって一時は表舞台から姿を消していた。
現在では「小田原せい」と名を改め、アスリートから大企業の経営者まで多くの顧客を抱え「新橋の母」の愛称で慕われている。
『光ママ』と呼ばれるが、それは、以前に経営していたスナックでの名前『立花光』から。
名付け親は美輪明宏さんだそうです。
占霊術とは・・・
9年周期で運気が動き、その人の運勢を導く「霊数」という数字から、今年の運勢が分かる。
運勢は6つの運勢と占霊年で成り立ち、
6つの運は光明運、隆盛運、平安運、修羅運、波乱運、衰退運に分けられる。
9年周期の中で特別な意味を持つ占霊年という年、そのものに吉凶はなく、いい意味でも悪い意味でも人生の岐路にあることを示していて、その後の9年間を大きく左右する年になります。